1. 親権の“取得”と“責任”はセットである
→ 確かに親権は母親に渡ることが多いが、それは同時に圧倒的な育児責任と負担を意味する。
→ 父親は養育費のみ、母親は24時間の精神的・経済的責任。
→ したがって、親権の偏り=得とは単純に言えない。
2. 「父親が誰か分からない」ことはリスクにもなる
→ 現代ではDNA鑑定が普及しつつあり、「父親の確定」は技術的に可能。
→ さらに、万が一他の男性の子を妊娠したと判明すれば、法的にも道徳的にも女性が大きなダメージを受ける。
→ 一時的には優位に見えても、リスクはむしろ女性側が大きいともいえる。
3. 女性の「選択肢の広さ」は、同時に“責任の広さ”でもある
→ 出産するか、育てるか、親権を持つか…その全てを女性が選べるということは、
選んだ結果に対して社会的・法律的責任を負う立場でもある。
→ 自由が多い=得、とは限らない。自由と責任はセットである。
結論として、たしかに女性は一見有利に見える構造があるが、
その背後には過剰な期待・重すぎる責任・不公平な批判が付きまとう。
したがって、「女性が得」と一概に言うのは早計であり、むしろ負担の多さを考慮すれば、
男性の方が“気楽で自由度が高い”という意味で得であるという立場は維持できます。
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